Friday 27 November 2015

墓地を作ると供養を集め遁走 大歓寺に左遷された佐藤広明に怒り爆発

墓地を作ると供養を集め遁走
大歓寺に左遷された佐藤広明に怒り爆発
奈良県五條市の法華講員から相次ぐ苦情
 日蓮正宗の横浜市・大歓寺の畑山法俊が隠居させられ、その後任として奈良県五條市・妙住寺の佐藤広明が先月、異動になり、逃げ去るように奈良の地から出て行った。これにより五條市の学会員は「極悪坊主の佐藤広明を奈良の地から追い出すことが出来た」と大勝利を宣言した。
 というのも佐藤は第一次宗門事件の際、学会に対して口汚く誹謗中傷を浴びせ続けたが、地元の学会メンバーは、それに耐え忍んで御供養をして外護に努めた。
 この苦しみ抜いた五條市の学会員を激励したのは池田名誉会長だった。昭和五十六年秋、和歌山県から五條市に足を運んだ名誉会長は学会員を抱擁するかのように温かく励まし、広布への不退と持続の信心を称賛したのであった。
 佐藤の悪行は数々あり、多数の法華講員からも不平不満や批判の声が湧き上がっている。
 なかでも佐藤は妙住寺の敷地を墓地にするため新たに土地を購入しなければならないとの口実で、多額の資金を「御供養」の名目で強制的に集めたのだ。
 講員達は「住職の口癖は『供養、供養』ばかりで、年金暮らしの私達にも『御供養しなさい』と強要していました」と嘆いている。佐藤に言われて生活を切り詰めてまで供養した講員もいたという。
 しかし、土地を購入したものの、周辺の住民の方々からの反対で、結局、墓地にすることが出来なかったのである。
 そのため、講員達からは「あれだけ供養を取っておきながら、墓地にすることができず、荒れ果てた土地だけが虚しく残っている。一体、どうなっているんだ」と囁かれているのが現状である。
 厚顔無恥な佐藤は講員達を威圧して、文句を言わせないようにしていたが、 妙住寺を去る時に、講員達の不平不満と怒りが一気に爆発したのだ。
 講員達の怒りの声を無視できなくなった佐藤は「墓地にすることが出来なかったのは地元住民の反対があったからだ。そのため借金だけが残ってしまった」と墓地が出来なかった責任を地元住民に転嫁し、借金の責任逃れの弁解に終始して、あとは素知らぬ顔である。
 こんな無責任な坊主の姿に講員達の不満は倍増し、責任を転嫁された地元住民の方々も平常心ではいられないのではなかろうか。
2015.11.27

No comments:

Post a Comment